〜〜 当 院 の 歴 史 〜〜
1900年頃の医師資格試験は現在とはかなり違っていました。 また、経済状況も厳しく、診療費の代わりに野菜などを持って来られる方も少なくなかったようです。 1931年、診療内容の充実のため『私立 須田病院』を設立しました。当時の病院院則によると診療科目は産科、婦人科、内科、外科で、入院料は1人部屋 3円50銭、2人部屋 3円と記されています。また、職員として自動車運転手を定めており時代をうかがわせます。 ところで、この時代には私立病院は埼玉県ではほとんどなかったようです。
同大学産婦人科教室に所属し、慈善を目的とした施療病院である東京慈恵会医院(現東京慈恵会医科大学附属病院)に勤務しながら、同大学医化学教室では”人胎盤のビタミンC”について研究し、1944年に医学博士号を取得しました。 その後、喜平とともに地域の産婦人科医療に専念してまいりましたが、出産ラッシュで旧病院が手狭になったため、1954年大宮市大字大宮908(現さいたま市大宮区桜木町2-348)に当時としては大規模な2階建て産婦人科専門の須田病院を新築・移転しました。(写真:左下) 当時は妊娠初期の判定は熟練した産婦人科医でさえ難しいものでした。そこで、うさぎの耳を利用して妊婦さんの尿から採取した検体で妊娠反応のテストをくり返し、大学や研究機関に先駆けて妊娠の初期判定の方法を研究しました。 芳郎のユニークで的をえた研究に、専門家の勉強会である学会でも彼の質問や提案に大学の研究者さえ答えに窮する事が多かったと聞いています。 しかし、功名心などまったくないため、この一大研究はいつのまにか大学、研究機関、製薬会社等へと伝播し現在の簡便妊娠検査へと姿を変えていきました。
『創設者 須田喜平生誕100周年』にあたる1985年に医療法人 慈健会 須田胃腸科外科医院として同地に新築・再出発いたしました。(写真:左) 日々の診療は『須田喜平時代の広い知識と豊かな経験』と『須田芳郎時代の専門性』を兼ね備えていなければならない難しいニーズに追われる時代となっています。 今後はさらに力強い医療ネットワークを加えて、新しいニーズにお答えできる医療機関を目指してまいります。 |